繁昌院 人生繁昌の法則
【お大師さまのみ教えが 生き方を変え 人生を幸せにしていく】
彼岸のこころ 〜 〈忍辱〉芽吹きの美しさと忍辱 〜
「暑さ寒さも彼岸まで」。日中はお日様が暖かく、気持ちの良い日が続いています。
連日、新型のウイルスのニュースばかりが報道され、心配の多い日が続きます。皆さま方もどうか御身体御自愛下さいませ。
お彼岸も中日を迎えました。ご先祖さまへの報恩の心でお過ごしでしょうか。
皆さんはお彼岸の期間、お家のお仏壇、またお墓にはお花をお供えになられていますか。綺麗なお花を見ていると、心が落ち着くものです。きっと、ほとけ様、ご先祖さまもお喜びのことと思います。
そんなお花ですが、なぜ仏前にお供えをするのでしょうか。
それは、一つには先にも申した通り、美しさをご先祖様に供えるということ。そして、もう一つは、お花から教えを学ばせていただくということのように思います。
繁昌院も、少しですが昨年に植えた草花の新芽が芽吹いてまいりました。また梅の花は綺麗に咲き、もう散ってしました。そんな草花ですが、ずっと綺麗な花が咲いているわけではありません。花が咲くには
土・水・日光・肥料 などなど
多くのご縁によって花が咲きます。そして何より、頑張って咲こうという草花の《心》あってのことと思います。
よく考えれば草花は、真夏の灼熱にも耐え、真冬の雪、極寒にも耐え、今か今かと芽を出し、花を咲かせているのです。
色々な《困難・苦難》に耐え、はじめて美しい花を咲かせているということです。だからこそ、その目に見えない努力が、花をより一層美しくみせているのかもしれません。
実は花のような耐えるということを仏教では【忍辱(にんにく)】と申します。そして、この忍辱の修行は、また人間にも必要で、その修行をすることで、ほとけ様に近づくことができると説かれています。
お彼岸は、今を生きる私たちが、ほとけ様のような生活を実践する期間。
今まで億劫だった事柄も、単に《嫌なこと》と捉えるだけではなく、《忍辱の修行の種》と捉えて、ニコニコと生活を過ごしたいものです。
令和2年3月彼岸中日
福照山 繁昌院
住職 上田希真