日高さんというご夫婦とご縁ありました。日高さんは、舞鶴市という繁昌院からは車で約1時間の所にお住まいです。
 実は日高さん、現在ガンを患われ闘病中です。住職が初めてお会いしたのは、1年半前。その時は、コケた頬と暗い顔つきだったのが印象的でした。

 日高さんの趣味は落語。ご自身もアマチュアで活動され、病院、また会を作られ発表会などもされ、素人目では、日高さんの落語はプロ並み。以前に繁昌院でも落語を一席していただいたことがあります。そのご縁が日高さんとのはじめの繋がりでした。

 そんな日高さんですが、昨年末、実の弟さんを亡くされました。急死だったそうです。日高さんは、重いガンを患っている自分より、先に弟さんが亡くなったことに驚きと、また大変深い悲しみが押し寄せたそうです。
 そんな時、ふと死後の世界を考えられたそうです。信仰深い性格ではなかったそうですが、弟さんの死を機会に色々と考えられたそうです。そして、「ちょうど最近、縁あるお寺がある」ということで、繁昌院に御連絡をくださり、死後のこと、また心の悲しみを正直に打ち明けて下さいました。

 私もまだまだ修行の身。今知っていることをお話しさせていただきました。すると、日高さんは私の言葉(私のといっても、仏教の教えを伝えたこと)に深く感銘してくださったようです。そして、少し心が軽くなられたそうです。

 行動派の日高さん。すぐに新聞にその想いを投稿されました。するとその記事が新聞に掲載されました。

 そして、ここからが私にとっては本当の救いです。

 なんと、その記事をみた読者が、「障害者グループホーム世話人・日高・舞鶴」というキーワードだけを頼りに、日高さんを探されるのです。というのも、その方も、ガンを患われ苦しみの最中で、日高さんの記事をみて救われたそうです。
 そして、数多のグループホームに電話で連絡を取り、やっとの思いで日高さんの務めるホームに繋がり、お会いできたそうです。

 日高さん。本日お寺にお越しくださった時のお顔は、同じ境遇で苦しむ人のお力になれ、自分の役目を果たされた様な、とても輝かしい表情をされていました。

 上記の通り、日高さんは現在もガンに苦しみ、お医者さまからは、余命はいくばくもないと宣告されたそうです。奥様とも深く話され、「死ぬ準備」をしてきたそうです。しかし、奇跡的な回復と、御自身の心のあり様で、【「死ぬ準備」しかしていなかった自分が、「生きる覚悟」をしないといけなくなった】と笑顔で話をして下さいました。

 「生きる覚悟」。

 この言葉は、私にとっては、あまりにも大きく、衝撃的でした。
 「生きる」というのは「当たり前」。そう思ってしまっていた自分を恥じました。

 日高さんの言われる「覚悟」に胸がいっぱいになり、救われたと言ってくださった日高さんから、私自身が大きな「希望」をいただきました。

 現在、病に苦しんでおられる方。どうか、いつも希望を胸にして下さい。

『京都新聞』窓 令和元年12月16日