お盆の由来は諸説あるようですが、このお話がよく聞かれます。

仏教をおひらきになられたお釈迦さま。お釈迦さまには特に優れたお弟子様が十人おられました。釈尊十大弟子です。その中のお一人、「目連(もくれん)」という大変偉いお弟子さんのお話です。

目連さんは、「神通第一」と称され、優れた神通力(何事でもなし得る霊妙な力)の持ち主でした。そんな目連さんの最愛のお母さんがお亡くなりになられました。悲嘆にくれる目連さん。お母さんが死後、どんな世界に生まれ変わったかが気になり、得意の神通力でお母さんの亡き後を見渡しました。すると、お母さんは「餓鬼道」、餓鬼の世界に生まれていたのでした。

餓鬼の世界は、常に飢えと渇きに苦しむ、それはもう過酷な世界です。お母さんも過酷な飢え渇きに苦しみ、悶えていたのです。目連さんは、お母さんに神通力で食べ物を届けようとするのですが、一切が炎となって、水の一滴さえ届けることがせきませんでした。

涙を流し悲しんだ目連さん。なんとかお母さんを救ってあげたいと、教えを乞うたのがお釈迦さまでした。お釈迦さまは目連さんに「私の力をもってしても、お母さんを救うことはできない。いのちは、生前の行為によって、その業の力によって生まれ変わる。お母さんが餓鬼の世界に生まれたのも、深い因縁の中のこと。」と、お釈迦さまの慈悲をもってしても、直接的にお救いできないとのことでした。しかし、お釈迦さまは続けて、「目連。ただ、唯一お母さんを救う方法がある。それは、七月十五日に雨安居(僧侶の勉強会)が終わるが、その日に目連、あなたが僧侶に食べ物を施しなさい。食べ物を施した功徳が巡り巡り、お母さんにゆき届き、その功徳によって餓鬼の世界から生まれ変われるだろう」

目連さんは早速に、心からの食事を準備し、言われた通り、おぼうさんに食事を施したのです。その後、お母さんを観てみますと、、、。お母さんは餓鬼の世界から救われ、苦しみから解放されていたのです。

この話が日本に伝わり、少し変容を遂げ、現在の日本のお盆に繋がっていきました。

このお話からも、お盆で大切なことは、大切な人に大切なものを「施す」ということがわかります。目連さんはお坊さんに食事を施した。今の日本のお盆では、ご先祖さまに命の源である〈お食事〉と、心の栄養とも言えるおぼうさんの〈お経〉を施す。

そして、施すということは、直接的に自分への利益はなくとも、巡り巡って大きく還ってくる。それは、目連さんのお母さんに功徳が行き届き、救われたようにです。

お盆のご供養は、ご先祖さまが喜ばれ、その喜びは、自分を含めた家族にも行き届く。大きな功徳が世の中に行き渡るのです。これこそ「回向」です。

どうかこの夏は、亡きあ人を想い亡き人にあなたの大切なものを施し、大きな功徳のお裾分けをいただきませんか。

令和元年 お盆の月